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古くからの歴史がある住吉四神の御祭神

吉三神と神功皇后をお祀りする住吉四神を御祭神とし、祓いの神・航海安全の神・和歌の神として広く信仰を集めてきました。西暦869年、貞観11年の創建以来、五穀豊穣や産業繁栄を祈る神としても篤く崇敬され、地域の守護とともに歴史を刻んでいます。徳川家康公とのご縁により佃の地名が生まれ、東京佃島や佃煮発祥にも繋がるなど、全国に広がる文化的な足跡も残しております。

祭神:住吉の四柱

祭神:住吉の四柱
・底筒之男命(そこつつのをのみこと)
・中筒之男命(なかつつのをのみこと)
・表筒之男命(うわつつのをのみこと)
・神功皇后(じんぐうこうごう)

住吉大神は、禊祓(みそぎはらい)で出現されたことから、神道において最も重要な祓いを司る神として信仰されています。古くから海上の無事を祈る航海安全の神として、万葉集にも歌が残されています。また、和歌の神としても、数々の和歌が詠まれています。さらに、住吉大神が草を敷かずに苗代をつくる方法を教えたという伝説があり、五穀豊穣、農耕の神、そして産業、商業、貿易の神としても信仰されています。

由緒

貞観11年(西暦869年)9月15日鎮座の田蓑嶋神社は、寛保元年(1741年)9月に住吉神社と改名し、明治元年(1868年)に田蓑神社となりました。「日本書紀」や「古事記」にも記されているように、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国で亡くなられた妻・伊邪那美命(いざなみのみこと)を追って禊祓いをした際、住吉三神である底筒男命(そこつつのをのみこと)、中筒男命(なかつつのをのみこと)、表筒男命(うはつつのをのみこと)が誕生しました。その後、神功皇后(じんぐうこうごう)が新羅出兵の際に住吉大神を奉り、無事成功、国の安定を築かれました。帰途、この地を訪れた際、海士が白魚を献上したことから、その海士を奉ったと伝えられています。
当地開拓の際、その海士が出現し、神功皇后の御船の鬼板を守り、この神宝を安置して住吉大明神をお祀りせよと告げられたことから、貞観11年(869年)に創建されました。住吉三神と神功皇后の住吉四神をお祀りする神社です。社名は時代と共に、田蓑嶋神社(田蓑嶋姫神社との説もある)、住吉神社(住吉大神奇宮、住吉明神、住吉大明神とも)、そして明治元年(1868年)に田蓑神社と変遷しました。

徳川家康と田蓑神社

天正年間、徳川家康公この地に立ちよられ多田の網(川西市多田神社)に参詣の折、田蓑嶋漁夫など、漁船をつかって神崎川の渡船を勤めました。その縁により、漁民等には「全国どこで漁をしても差し支え、税はいらない」という特別のごほうびをいただき、漁業の一方、田も作れと命じられ、その蓑をもって田蓑嶋を佃と改めました。後の寛永八年(1631年)田蓑嶋神社内に、徳川家康公が奉られました。人助けにより、村の繁栄がもたらされたのです。私たち佃の氏子はその心を大切に神恩に感謝するとともに、世のため人のために奉仕し、福祉の増進を心掛けたいものです。

佃漁民のゆかりの地

天正十八年(1590年)八月一日家康公が関東へ下降の際、田蓑神社の宮司・平岡正太夫の弟、権太夫好次を含む三十四人の村人が江戸へ下りました。後に幕府より干潟を賜り、故郷の名をとり佃島と定め、田蓑神社の御分神霊を奉戴しました。これが、佃煮発祥の地として有名な、東京の佃島と同地の住吉神社の起源です。当地は、大阪市より顕彰遺跡「佃漁民ゆかりの地」と指定され、神社にその碑が建立されました。また、その碑が未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選に選ばれました。